家具であり芸術でもあった衝立


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家具であり芸術でもあった衝立


古墳時代からあった日本の衝立

飛鳥時代に中国から日本に送られた屏風は、衝立の形をしていたといわれています。飛鳥時代といえば6世紀頃ですから、日本最古の衝立はこの頃にできたと思われるかもしれません。ところが、4世紀後半頃に造られたといわれる大阪の津堂城山古墳からは、水鳥の形をした埴輪とともに家や盾、衣服のほか、衝立の形をした埴輪が見つかりました。

この衝立は、椅子の背後に置かれていたものをモデルとして作られたと考えられています。日本には、古墳時代にすでに椅子の後ろに衝立を置く風習があったということになります。大きさは、高さ90センチ幅1.3メートルもあり、ほぼ実物大の衝立をかたどったものとみられています。




目隠しから絵師たちのキャンパスへ

もともと衝立は、表から室内が見えないように目隠しとして使ったり、風除けのための道具として使われていました。やがて、衝立を立てる脚台や衝立本体の表や裏側に、さまざまな装飾を施すようになりました。さらに、衝立の空きスペースは、ふすまや屏風とともに平安時代以降に現れた"絵師"たちにとって、格好のキャンパスになりました。

なかでも、平安時代に流行した花、鳥、虫などを描く花鳥画は屏風や衝立に描かれ、"障屏画(しょうへいが)"という呼び名で親しまれました。室町時代に入ると、日本絵画を代表する狩野派が台頭し、多くの衝立画が生み出されました。

一方、明治から大正にかけては"硯屏(けんびょう)"と呼ばれる小さな衝立が流行しました。ちょうど写真立てぐらいの大きさで、硯(すずり)の前に置き埃や風から守った小物ですが、机上を飾るアクセサリーとして多くの人たちに使われていました。




日本人のライフスタイルにマッチ

このように、衝立は生活における実用品であるとともに、芸術作品としても日本の美術史に残るさまざまな傑作を生み出しています。お寺では、帝釈天などの十二天、観音菩薩や高僧などを描いたもの、また家屋や屋敷では、人物画や水墨画、山水画を描いたものなどが、重要文化財や国宝として多数保管されています。

歴史的な"お宝"ともなれば高価な上に希少性も高くなかなか手が出ませんが、部屋のインテリアや実用品として、私たちの生活の中にも衝立は気軽に取り入れることができます。不思議なことに、洋風、和風を問わず、衝立は日本人のライフスタイルにとてもマッチします。

衝立 通販.comでは、和室にぴったりな和風の衝立から、現代的でモダンなデザインの衝立まで、用途に合わせたさまざまな衝立をご用意しています。それぞれのお部屋の雰囲気に合わせてお選びください。





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